「社長」と呼ばれる麻薬効果と「さん」付け運動

経営

みなさんの会社では役職者を「●●部長」とか「●●課長」などというように名前に役職を付けて呼んでいますか?それとも、役職者であっても「●●さん」というようにだれでも「さん」付けにしているでしょか?
当社では前者の「名字+役職」で呼んでいます(上司からも部下からも)。日本の会社の昔ながらの呼び方ですね。世の中では「さん付け運動」というものが浸透しつつありますが、当社では相変わらず役職をつけて呼んでもらうようにしています。いまどきじゃないなー、と思われるかもしれませんが、これには理由があるのです。

社長に就任したときは、「これから会社の全責任者として気を引き締めてやらねば」という想いがありましたが、日を追うごとに社長と呼ばれることに慣れてしまったり、社長と呼ばれて気分が良くなってしまっている自分がいました。そりゃ「社長」と呼ばれて悪い気はするわけありません。でも、そう呼ばれているうちにその言葉が麻薬のように気持ちよくなり、なんだか自分が偉くなったと勘違いし始めていました。(もちろん麻薬は違法なのでやったことはありませんが)


社長と呼ばれて気持ちが良くなってしまっている状況では、社員から意見や不満が出たとしても「部下のくせに何いってるんだ」とか「社長の苦労もしらないくせに」というような気持ちが芽生えてしまい、貴重な社員の声を「社長の悪口を言っているのだ」という被害妄想が膨らんでくるとともに、社員との距離が離れてだんだん社内の雰囲気が荒れていってしまったのです。


そこで、いろいろ他社がどのように上司を呼んでいるのか、知人の経営者だけでなく他社の様々な立場の方に聞いて回った所、最近は肩書きが付いていても「●●さん」という風潮が広がっているとのことです。

たしかに、どんな役職であれ「●●さん」というように「さん付け」で呼び合えば、親近感が湧くという効果はあると思います。これを狙って風通しの良い社風を作りたいという気持ちも良くわかります。「これはいい!ウチも真似してやってみよう」と思いました。フレンドリーにすればきっとうまくいく、そう思ってしまったのです。


でも、一度立ち止まって冷静に考えてみました。これって小手先のテクニックであり、根本から解決にはならないのではないかと思ったのです。

役職というのはその部下よりも「偉い」というのではなく、仕事の上で「役割が違う」というだけです。これはボクの持論なのですが、会社という組織を運営する上で「それぞれ役割が違う」というものだと主張してきました。社長には社長の役割の仕事がありますし、部長には部長の役割があります。そして役職がない方もその役割があるでしょう。みんな同じ役割だったら会社は回りませんから、どうしても職務そしてそのような立場や役割があるのですが、役職がついていようがなかろうが「人間そのものの価値」には全く関係がないでしょう。だからこそ、役職がついているから偉いというのはおかしな話になってしまいます。極端な話、世の中には社長であっても人間的によろしくない方もいる一方、役職はありませんが素晴らしい人格を持っている方もいるでしょう。だから役職がついているからといって、上司が偉いというのは違うと思っています。


じゃあ、なおさら「さん付け」でいいんじゃないの?となりそうなものですが、それはちょっと違うと思います。「さん付け」運動により風通しが良くなる一方で、「役職者としての責任」が希薄になるというデメリットもあるでしょう。「自覚なき役職者」が生まれてしまうと思います。そんな状態で役職者としてちゃんと自分の役割を果たせるのでしょうか?


そのような経緯から当社では親近感がある「さん付け」よりも、役職者には役職者としての責任感を持ってもらうために、上役・部下から役職をつけて呼んでもらいたいと思いました。以前のボクのように役職で呼ばれて気持ちよくなってる場合じゃありません(これは自分への戒めでもあります)。役職で呼ばれることで役職者としての覚悟を決めて、自分の役割をまっとうしてもらいたいという想いがあるからです。この方が本質的な解決につながるのではないかと思ったのです。

もちろん、「さん付け」が絶対にダメであるとはいえず、やはりそれは経営者の考え方にもよりますし各社の社風もありますから、各々の会社にあった呼び方で良いと思います。でも、当社では社風も含め総合的に考えて役職をつけて呼ぶようにしているのです。


各社様々な考えがあるとは思いますが、経営者のみなさん、役職者のみなさんはいまいちど自社がどうなのかを考え直すきっかけになっていただければと思います。

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